
掌で包み込むように揉みほぐす
ソメイヨシノの桜が満開の4月2日午後、田園都市線鷺沼駅最寄りの横浜青葉事業所を訪ねる。今日はこれから「あん摩マッサージ指圧師」の鵜飼昭伍(うかい しょうご)さん(43)の施術を見学させてもらうことになった。
訪問先は事業所からクルマで5分ほどの有料老人ホームに居住する80代の男性。心不全で1年以上入退院を繰り返していたが、全身に倦怠感があり、週に3回マッサージを受けているという。小柄なこの男性はやせており、おそらく人の手を借りなければ歩行も困難であるだろう。
鵜飼さんに抱きかかえられるようにベッドに横になる。「体調はどうですか?」「寒くないですか?」「最初に血圧、体温を測りますね」体温は35・8度だが、血圧は上が94で下が66と低い。血中酸素濃度は99%と正常だ。口数の少ない方で、返事をする声はくぐもっている。「それではマッサージを始めていきますね」と言葉をかけて施術は始まった。

鵜飼さんは手ぬぐいを左腕に当て、掌(てのひら)で包み込むように最初は指先から、上腕にむけて筋肉をゆっくりと回すように揉みほぐしていく。そして腕をやさしく持ち上げながら肩まで上げる、肘を左右に動かす、手首を回すとマッサージは進んでいく。そのたびに、どこの部位を「動かしますね」と声をかけていく。
次に左足の裏に圧を加えるように揉みながら、足首を回し、アキレス腱を伸ばす。両手を添えて膝を曲げ、ふくらはぎから太ももの筋肉を、これも両掌で包み込んで揉みほぐしていく。ここまで男性は目をつむって黙って施術を受けていたが、よほど心地が良くなったのだろう、その頃には寝息を立て始めた。鵜飼さんは膝の曲げ伸ばしから、次いで曲げたままゆっくりと膝を内外(うちそと)に倒していく。血圧の低いこの男性は寒さに弱く、この時期でも厚着で室温は高い。鵜飼さんの額に汗が浮かび、彼はタオルを取り出してそっとぬぐった。
同様の手順で右足、右手と進み、今度は側臥位にして左半身の肩を揉み、肩関節をゆっくりと回す。そして背中、腰へと「痛くないですか?」と声をかけながら指圧したり、さすったりを繰り返す。それが終わると向きを反対にして右半身を同様の手順でマッサージしていった。
時間にして約30分。男性はずっと眠っていたようだが、「お疲れ様でした」で施術は終わった。最後に血圧を測ると上が100に上がっている。男性の体は血行が良くなり温まったようである。「足のむくみも前よりよくなりましたね」と声をかけて部屋を後にした。
こうした介護を必要とする高齢者の施術を見学するのは初めての体験だった。鵜飼さんは終始穏やかな口調で語りかけ、男性は満足そうだった。その様子を見ていると、こういう施術者なら安心して任せられると思う。帰りがけに、見舞いに来たこの男性の家族の女性と入れ違いになったが、彼女が感謝の言葉を口にしていたことが印象に残った。
「気持ち良かった。ありがとう」の言葉
事業所に戻り、鵜飼さんから話を聞いた。鵜飼さんは愛知県豊川市の出身。共働きで看護師の奥さんと、中学2年、小学3年と2人の女の子がいる。彼が新卒枠で「株式会社フレアス」に入社したのは2023年4月、研修を経て横浜青葉事業所に施術者として配属された。
フレアスに入社するまでには紆余曲折がある。前職は横浜市内の運送会社に勤め、管理職兼冷凍食品を運ぶ軽トラックのドライバーだったが、2019年以降のコロナの流行によって、会社は事業を縮小。社員は解雇されていく。鵜飼さんが振り返る。

「私は管理職と兼務だったので、社長から残ってほしいと言われました。ただ、妻からは”この仕事を続けるの?”と言われました。仕事は不規則で土日の休みも満足に取れません。2人の小さい子供もいましたし、この先も続けられるように、手に職をつけたいと思ったんです」。
「以前から、あん摩マッサージ師という職業に憧れがあった」と鵜飼さんは言う。ただし、国家資格を得るためには3年間、専門学校に通い、国家試験に合格しなければならない。その間、相当の学費がかかる。いろいろ調べてみると、国から学費の補助を受けられることがわかった。2020年4月、東京都文京区にある「日本指圧専門学校」に入学した。
「昼間のクラスは20名で2クラスありました。生徒は高校を卒業したばかりの若い人から60代の高齢者まで様々でした。私は37歳で入学して、卒業したときには40歳になっていました」と鵜飼さんは笑って答える。
「これまでにもいくつか資格を取っていたんですよ。専門学校に通ってトリマー(犬や猫の美容師)の資格も持っていて、2年間、働いたこともあったんですが、とにかく給料が安かったです。指圧の専門学校に入学するにあたり、妻には”また学生をやらせてもらうね”と頭を下げましたが、快く賛成してくれました」。
フレアスの入社を決めたきっかけは、専門学校での就職説明会で、フレアス社員の話を聞いたことだった。「ホームページを見て、フレアスに惹かれました。障害者に配慮していて多く雇用しているということ。それと動画を見て感動したんです」と鵜飼さんは語る。
シンガー・ソングライターの池田綾子さんの「見上げる青い空」の歌声とともに、施術を受けて元気になったお父さんと家族の姿を描いた、アニメの動画。ほのぼのとした明るい雰囲気が伝わってくる。鵜飼さんは「温もりを感じた」そうだ。「施術によって日常生活でできなかったことができるようになったという内容でした。私も、人の役に立つ施術者になりたいと思いました」。
国家試験に合格し、入社後、同期の10名とともに2週間の泊まり込みの研修を受けた。その間、施術の訓練をみっちりと叩き込まれる。「フレアスのマッサージは『把握揉捏(はあくじゅうねつ)』というもので、筋肉を回すようにマッサージして、筋ポンプの作用を使って血液の循環を良くするものです。掌を筋肉に密着させて施術しますが、その時の力の入れ加減が難しいです」。
フレアスのマッサージは、「あん摩マッサージ指圧師」の国家資格を持った、体の仕組みに精通した施術者によって行われる。街角でよく目にする「癒し」「リラクゼーション」をうたい文句にした無資格者が営む店舗とは似て非なるものだ。鵜飼さんは研修後、勤務地の最初の1週間は上司に付いて現場を回り、戻ってから練習に励んだ。その後、1人10人前後の施術を手掛け、腕を磨いてきたのである。

鵜飼さんに苦労話を聞いた。
「仕事を初めて1年目のこと。介護施設に入っている認知症が若干ある80代の女性でしたが、施術をすると暴言を吐かれたり、けったりつねったりされました。その人の施術をするのは嫌で、不安でした。ところがある日、人が変わったように”気持ち良かった。ありがとう”と言われたんです。その方の素が出たのでしょうね。それ以来、その人を施術するのが苦にならなくなりました。”また来ますね”と挨拶すると”もう来なくていいわよ”と憎まれ口を叩かれることもありますがニヤリとされる。”またそんなこと言って”と返しますが、コミュニケーションが取れるようになったと思いました」。
「どうしたらいいんだろう」と悩み、仕事が辛かった時は、フレアスの会社理念「人と人とのふれあいを大切にし、社会貢献と社員の物心の幸せを追求する」を唱えていたという。
「この仕事は、感情を表に出さない利用者の方が多い。”気持ち悪い”・”やめて”と拒否されると落ち込みますが、基本的に感謝されることが多いです。施術することで寝返りが打てるようになった、座位が取れるようになったと喜ばれ、手紙をいただくこともあります。やりがいを感じていますし、自分に合った仕事だと思っています」。
コミュニケーション能力も必要
鵜飼さんに話を伺った後、夕方、彼が運転するクルマで別の有料老人ホームに出かけた。80代後半の男性で、手足の痺れがひどく、車いす生活を送っている。これまで居宅で施術を受けてきたが、家族による介護の負担が重くなり、最近になってこの施設に移ってきた。体の動きは弱々しいが、言葉ははっきりしている。
男性は、車いすに座り、テレビを眺めていた。「今日の体調はどうですか?」「先にお手洗いに行きますか?」と鵜飼さんが声掛けをし、施術前の事前準備を整えて頂いてからベッドに移動し、マッサージが始まる。
手順は先ほど見学したものとほぼ同じである。今度の男性は話好きのようだ。メジャーリーグの中継を見ていたらしく、「今日も大谷君、打たなかったよ」と残念がり、施術の間、会話が途切れることはない。「今日は調子良さそうですね」との問いかけに男性が「痛みは同じようなもんですよ」と話すうち、ポツリと「長生きしても何の役にも立たないから」と言った。傍らで聞いていてドキッとした。これは究極の問いかけである。すかさず鵜飼さんは「いえいえ、家族の方は長生きを望んでいますから」と自然に返した。そしてまた当たり障りのない野球の話題に戻っていく。私なら何と答えただろう。
施術者に求められているのは、確かな技術だけでない。コミュニケーション能力も必要なのだ。この男性は、車いす生活で人の介護がなければ動けない。ひとりポツンと部屋にいて、テレビを見るか読書をするか。誰かが訪ねて来ない限り、会話をする機会はないだろう。そんな時、施術者は数少ない話し相手になる。聞き流すのではなく、心のこもった言葉を交わせるかどうか。わずかな時間でも利用者にとって貴重な「楽しみ」であり「憩い」になるに違いない。私は穏やかな語り口の鵜飼さんの話術に感心したのである。

今年の4月から、鵜飼さんは現在の事業所を離れ、管理職としての仕事が増えるので現場の施術は減ることになるという。最後に後輩に送る言葉をもらった。
「マッサージによって、日常動作で、できることのレベルを落とさないようにしてあげるのが私たちの仕事です。利用者をいたわり、ご家族の思いに応えられる施術者になるよう、いろいろなことを後輩に伝えていきたい。私自身、身近な人に自慢できるような仕事をしていると思っています」。
取材・文:元週刊新潮 副編集長 四方田 隆 YOMOTA Takashi
1982年、株式会社新潮社に入社し、週刊新潮編集部に配属。デスクとして特集記事を執筆するかたわら、連載小説も兼務する。特集記事デスクを経て、98年から週刊新潮編集部副編集長に。2010年から広告部部長。24年定年退職後、フリーの著述業。



