
全国約50人の「相談員」の職種とは
国内に約450カ所の拠点を持つフレアスグループの中で、直営店舗は80拠点(内事業所は56)約500人の施術者がいるが、その仕事を裏方として支える「相談員」が全国に32人(兼務を入れると約50人)いる。会社組織の大きさからいえば少ない人数にも思えるが、それはどのような職種だろうか。
その活躍がなければ事業は成り立たない。いわば「縁の下の力持ち」である。 今回はその仕事ぶりについて、首都圏第2ブロック副ブロック長兼品川事業所(品川区旗の台)所長で、相談員も兼ねている横塚雅仁さん(29)に話を聞いた。
横塚さんは、2019年4月に新卒入社以来、相談員を続けている。現在、勤務する品川事業所では、朝10時から午後5時までの間、関係施設を回っているという。どうやって営業するのか。私はてっきりアポを取って訪問するのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。品川事業所は、目黒区、品川区、大田区と世田谷区の一部という広いエリアを担当しており、営業対象としてざっと400から500の関係施設があるという。
横塚さんは説明する。
「たいてい自転車で回ります。アポが取れて訪問するのは、年間300カ所を回るうちの1割くらい。ほとんどアポなしで直接お訪ねします」
最初に受付を訪ねると、「フレアス在宅マッサージです。ご挨拶で伺いました。ケアマネジャーの方はいらっしゃいますか?」と声をかける。品川事業所は10年以上、この地に根付いているので、フレアスの名前は浸透しているというが、なかには「不在です」「取り込んでいます」と断られてしまうこともある。そういう時は「無理しないで資料を渡して帰ります」と引き下がるが、「たいてい6~7割くらいは会ってもらえます」。おおむね1か月に1度は同じ施設に顔を出すという。そうやって関係を築いていく。
ケアマネジャーに会えれば、訪問マッサージやその効果、医療保険を使えることなど費用を説明し、「施術を必要とする方を紹介していただけないか」とお願いする。そこからケアマネジャーを通じ、その施設の利用者でマッサージを必要とする人に、試してもらえるかどうか聞いてもらうという手順を踏む。歩留まりはどうか。横塚さんによれば「すぐの紹介にはなかなかなりません。だいたい最初に営業して、利用したいと考える方に直接お会いし、受付(利用の契約)に至るまで1か月から3か月かかります」というように、なかなか根気と情熱のいる仕事である。
横塚さんのセールストークのひとつはこうだ。足のむくみに悩む患者は多い。

「フレアスは足のむくみに効果があるリンパマッサージを得意としています。いかがでしょうか」と言って、詳細を説明する。むくみ(リンパ浮腫)は、リンパ節やリンパ管が切断、閉塞されて皮下組織にリンパ液が溜まったことで生じる。
「ガンの手術でリンパ節を取った方がむくみやすい。足首が象の足のように太くなって、足が重くて歩けなくなり、筋肉も弱ってくる。生活に支障が出る方は多いです。施術は、筋肉と皮膚の間にたまっている水(リンパ液)の循環がよくなるように、両掌で大きく揉みほぐしていきます。 普通のマッサージより施術者の力の加え加減は柔らかい感じでしょうか。施術する前後で、足が3センチほど細くなった例もあります」。

また施術に来てほしい。元気になって戻ってくるから
横塚さんにとって働きがいとは何だろう。
「300件回って、やっと1件、受付してもらった嬉しさでしょうか」「慣れて来ると6、7件は取れるようになります」と語るが、なかなか契約が取れなかった入社当初の頃の苦い経験は忘れられないという。
「実家の隣に住む知り合いのケアマネジャーさんに、在宅で他のマッサージを受けている80代の高齢者を紹介してもらい、弊社のマッサージを体験してもらいました」
やっと契約までこぎつけた喜びも束の間、「それが対応の難しい方で、『フレアスという社名は何だ?』と聞かれ、新卒だった僕はうまく答えることができませんでした。施術にはご満足いただいたのですが、契約の同意書までかわしていたのに1日目で断られてしまいました」
フレアスに入社して8年目、最近、やりがいを感じたことがあるという。
「クリニックからの紹介で、すい臓がんの転移で終末期を迎えている70代の男性の施術の初日(無料体験)に立ち会いました。この方は在宅で、それまでは奥様や息子さんが交代でマッサージしていたそうですが、腰の痛みが辛くて、しゃべるのもままならない状態でした。ところが、施術を受けると痛みが和らいだらしく、施術の間はお話ができるようになった。ご家族の方は、久しぶりに声が聞けたと喜んでおられたのです」
以後、毎週施術を受けることになったが、男性は日に日に弱っていく。3週目に入った頃、奥様から「明日、緩和病棟に入院することになりました。本人は、『また施術に来てほしい。元気になって戻ってくるから』と言っています」という電話をもらった。
「人間誰しも痛みが強くなるとしんどくなります。そういった方にも、会社では【時間の価値の最大化】とよく言っていますが、施術している時間だけでも楽になる。ご本人には『元気になって戻ってくる』と、生きる希望を持ってもらうことができました。その方が5月末に亡くなって、奥様から感謝のお電話をいただきました。『マッサージの時だけ、声を出していました。施術を楽しみにしていましたし、本人も最後は幸せでした』」
この男性の施術は、今年に入社した新卒の施術者が担当していた。
「所長の立場で言えば、新卒の施術者には貴重な体験だったと思います。落ち込む時もあるだろうけど、すごく感謝される仕事だと。やりがいにつながる、とても良い経験をさせてあげたと思っています」。

海洋学部からフレアス入社という異色の経歴
横塚さんのこれまでの歩みを紹介しておきたい。彼は東京都世田谷区用賀で生まれ育った。2015年3月都立上野高校を卒業後、北里大学海洋生命科学部海洋生命科学課に入学。19年3月に卒業し、同年4月株式会社フレアスに入社した。
横塚さんは身長188センチと大柄である。聞けば、中学時代からバレーボール部に所属し、活躍していたそうで、キャプテンを務めていた。
「高校でもバレーを続けたかったので、都立では強かった上野高校に進学しました。1年生からレギュラーで、関東大会出場まで行きました」
と横塚さんは話す。
「高校は進学校だったので、勉強に力を入れつつ、部活をやっていました。進路を考えたとき、テレビ番組の『ザ!鉄腕!ダッシュ!!』で海の開拓をやっているのを見ていて、海に憧れがありました。周りは法学部とか文学部を目指していましたが、僕は普通とは違ったことをやりたかったので、海洋学部に進みました。海洋生物の調査とか海の環境保護に興味があったんですね」
海洋学部からフレアス入社とは異色の経歴である。
「大学院まで行かないと研究職にはなれません。僕は早く働きたいと思っていたので就活することにしました。正直に言うと、特にやりたい仕事があったわけではありません。ところが50社くらい受けたのですが、全部、落ちてしまいました。たいてい最終面接かその前くらいまでは進むのですが、そこでつまずいた。僕は、就職してもバレーボールを続けたかったので、”転勤は嫌です”と言い続けていたからではないかと思います」
横塚氏は、大学時代も体育会のバレー部に所属し、キャプテンを務めていた。ちなみに今も目黒区のクラブチームでバレーボールを続けている。
それでフレアスとの縁はどこで生まれたのか。
「就職の紹介サイトにも登録していて、僕は介護医療にもチェックを入れていたので、フレアスを紹介されました。4年生の6月、初台オフィスで面接試験を受けました。1次面接では、面接官の方が僕の大学の近くの高校出身で話が盛り上がった。2次面接は首都圏エリアの事業部長で、ここでも僕の地元の用賀の話で盛り上がりました。面接を通じて、なんとなくご縁のある会社だと思ったんです」
最終面接は社長である。パワーポイントで自己経歴書を作って社長にアピールする。
「僕はバレーボールに取り組んできたこと。キャプテンとしてチームをいかにまとめたかという体験を話しました。社長からは、在宅医療が抱えている問題として、介護をする人が足りない、団塊の世代が高齢者のピークを迎える2025年問題の話がありました。僕自身、中学時代に祖父を看取った経験がありまして、フレアスの仕事は自分の経験とリンクするイメージがあり、そういう人たちの助けができるならとやりがいも感じました。面接の感触は良かったので受かったと思いました。「”転勤は嫌です”とは言いませんでした(笑)」
2019年、最初の配属は世田谷事業所で相談員。以後、22年に世田谷事務所所長、さらに品川、渋谷、両国などの事業所の所長を経て、今年4月から現職となる。
「僕は総合職採用だったので、内勤で事務仕事をするのかなと思っていたのですが、面接の時に、”体育会出身なので身体を動かしたい”と言ったので、それで現場に出ることになったのかもしれませんね(笑)」
横塚さんは、快活な性格のようで明るく正直に話す。その誠実な人柄が言葉の端々からうかがわれ、営業職は適材適所ではないかという印象を受ける。ところが、これまで2度、離職の危機があったという。
「入社翌年、上司と相性が合わなくて、口論の末”辞めてやる”と事業所を飛び出したことがありました。この時、すぐに僕の話を聞いてくれる仲間がいて助かりました。2度目は、3つの事業所を掛け持ちで所長をやっていた時。管理の仕事がきつ過ぎて”やってられない”と思ったのですが、この時も僕の仕事を理解して手伝ってくれる部下がいたし、他の部署の方が声をかけてくれたり、相談できる相談員の先輩がいたりしました。それで、これはこなしていくしかないなと思えたんです。フレアスのいいところは、現場にいる人たちの人間関係が良く、助け合いの気持ちが強いことですね」
横塚さんはこうした経験から、「僕は、会社に入って人に恵まれたと思っています。それだけに、部下とのコミュニケーションを一番大事にしています」と語る。最後に、これからの目標を聞いた。
「僕には会社経営の知識がありません。今はフランチャイズ店のスーパー
バイザーの仕事もしているので、経営の知識があればと思います。そこをまず勉強して力をつけていきたい。なによりまず目の前にあることを一生懸命やる、それが僕らしさかなと思っています。僕がいることでみんなが楽しく働いていける、そういう上司になりたいですね」。
取材・文:元週刊新潮 副編集長 四方田 隆 YOMOTA Takashi
1982年、株式会社新潮社に入社し、週刊新潮編集部に配属。デスクとして特集記事を執筆するかたわら、連載小説も兼務する。特集記事デスクを経て、98年から週刊新潮編集部副編集長に。2010年から広告部部長。24年定年退職後、フリーの著述業。



